こんにちは、引きこもりのコトリ(@minimalist_cot)です。
今日は、よく話題にのぼる \承認欲求/ について
ミニマル思考と絡めて書こうと思います。
私は、ミニマリストになってから
人に認めてもらおうと言う欲は
直接的に外側へ向かわなくなってきたと自覚しています。
それは着ているものや持っているもの、住んでいる家を認めろと言う
安直なものではなくなってきたと言うことです。
Contents
【承認欲求には2方向ある】
いろいろな定義付けがありますが
承認要求には周りに迷惑のかかってしまうものと
自分の成長になるためのもの
大きく2種類があると思っています。
★1つは今の自分を嫌いで
嫌いな自分を覆い隠した、「ヨロイ」の部分を認めてもらいたいもの
★1つは頑張った自分、そこに向かう過程を認めてもらう
これは自分を好きになる努力をし、その結果自然と自分と周囲に
受け入れられるもの
認められたい欲求は根っこの部分は同じですが
これらはベクトルが真逆だと私は考えています。
★その欲求、内側?外側?
わたしは、
承認欲求のベクトルは
自分という入れ物の内側と外側
2方向があるというイメージを持っています。
人に認めてもらいたい為に
外側にベクトルを向けているタイプは
息をするように見栄を張ります。
「お金をかけたヨロイ」を着ないと
認めてもらえないと思っています。
なので直接的に言ってみれば
お金が漏れていきます。
昔の私がそうでした。
綺麗な服を着たら「すごい」「かわいい」と言ってもらえないと
不安で仕方がありませんでした。
自分で自分の内面を認めていなかった証拠ともいえます。
また、人と比べて上に立たないと
不安になりやすく、
外側にばかり認めてもらおうとすることは
マウンティングが発生する元凶になっているのだと思います。
外側に向いた承認欲求は往々にして
人間同士の距離も近すぎたりするなど
(極端な場合は、他人が私を認めてもらって当たり前、など)
適切な距離がおかれていない場合が多いように見えます。
最近よく耳目にする、クレームやアンチコメントも
自分の怒りや悲しみを認めろ、受け入れろという
承認欲求の1種だと思います。
周りはもちろん大迷惑ですし、
当人もそれらに溺れて苦しそうに見えます。
逆に、内に向く方は
長期にわたって自分の努力を継続し、
積み重ねた結果を「自然と」認めてもらうものだと思います。
それが自ずと周囲に知られ、良い評判もついてくるので
わざわざ「こうした、ああした」とアピールしなくてもよくなります。
感情の起伏も少なく、
内外ともにざわついた感じがなくなります。
【周囲の評価も上がる承認欲求の持ち方】
★「手放しが自分を認めること」になる
ものを減らしたり、片付けをすることは
「自分で自分を認めてあげるための手段」
という意味づけができます。
私は実際に自分でものを減らし
部屋を片付けることによって、
「自分の手で美しい部屋を手に入れた!」という
成功体験と達成感を少しずつ何度も味わい
これに満足できたので人の目を気にしなくなり、
人に認めて欲しいと言う欲求も
迷惑をかけない方向に向けられたと思います。
★人にされた嫌なことを自分もやっていないか?
自分の承認要求で
人に嫌な思いをさせたくないですよね。
人にされた自慢話やマウンティング、クレームを
これまた人に認められたくて自分がやっていないか
ということを気をつけてみる、
これが大事だと思います。
そもそも自分を自分で認めてあげる事はできれば
外側に自分を認めると要求する度合いもかなり減りますね。
言い換えるならば
外に向いたものはテイクで
内に向いたものはギブ
だと思っています。
要求を外へと向け、仮に承認をむしりとっても
足りない、と枯渇した思いばかり残るでしょう。
内に向けると
自家発電ができるので、十分な供給ができる、ということです。
★使い方に気をつけよう
承認欲求は人間の基本欲求なので
なくしてしまうと
なぜ生きているのかわからなくなるのですが、
使い方さえ間違わなければ
人生の糧となり大きく成長できる材料だと思っています。
社会の変化などに貢献できる、
みんなの為になるような使い方をしたいものです。
今日はここまで。
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